双極性障害になってたどり着いた結論とこれから

第一楽章:わたしにとって現代は生きづらい

今の世の中は、何かと効率だったり、成果だったりが求められたりします。

レールを外れた生き方も受容されるようになってはきているものの、とはいえまだレールに沿った生き方が出来る方がラクなのもまた事実です。

わたしは、かなりレールを外れた生き方をしています。
正確に申し上げるならば、10代の頃にレールに沿った生き方から脱落してしまった人間です。

入学から1年で大学に通わなくなり、以降は非正規雇用で仕事に明け暮れる毎日。

しかし、20代後半に「うつ病」と診断され、仕事もまともに出来なくなりました。

齢30のときに診断が「うつ病」から「双極性障害」に変わり、精神科入院も経験しました。

今は自宅でおとなしく療養しているわたしですが、今後如何様にして社会復帰していくかを考えたとき、少なくとも今までの働き方では社会復帰は無理だな、と思うのです。

今までの働き方というのは、誰かに雇われて、一企業戦士として生きていく働き方のことです。

生意気言っているのは重々承知していますが、企業という枠の中で生きるには、わたしの生来の気質はあまりに自由過ぎるのです。

第二楽章:結果としての価値提供をしたい

企業に限らず、現代社会は「価値提供ファースト」な社会です。
商品なりサービスなり、何らかの価値を提供をすることを主目的とすることが、現代社会の骨子です。

わたしも、価値提供はしていきたいと思いますが、わたしは「価値提供ファースト」な生き方は望みません。

わたしが望む生き様は、「結果としての価値提供」です。
価値提供を主目的に据えるのではなく、自由に活動していった結果として、誰かに価値を提供することが、わたしの理想です。

You may say I’m a dreamer.

「そんな生き方ができるんだったら、みんなそうしたいに決まっている。」

「そんな自由な生き方をみんながしたら、社会が崩壊する。」

そんな声が聞こえてきそうです。

ですが、「価値提供ファースト」な生き方や、レールに沿って生きる生き方が向いている人もいると思うのです。

そういう人は、「価値提供ファースト」な生き方や、レールに沿った生き方をしていけばいいと思うのです。

ただ、わたしはそういう生き方が困難、いえ、無理だと断言してもいいでしょう。

10代ですでにレールから外れた生き方をし始めてはいるものの、わたしなりに社会に適合して生きようと努力はしてきました。

ですが、その結果の双極性障害罹患です。

「頑張って社会に価値を提供しよう」と努力した結果です。

もちろん、社会的価値を提供できるならば、それに越したことはありません。

ただ、そのやり方やゴール設定については、見直さなければいけない。

その答として、今わたしは「結果としての価値提供」を目指せないかと、試行錯誤しているところです。

第三楽章:シンプルライフという生き方

話は変わりますが、わたしは2023年1月から、今のアカウントでX(旧Twitter)に生息しています。

X歴自体は結構長いのですが、アカウントを作っては消しての繰り返しで、継続的にひとつのアカウントを使い続けるということが出来ていませんでした。

勿論、未来のことは誰にもわかりません。
今後アカウントを作り直すことも、可能性としてはゼロではありません。

ですが、今のところ、「Xを継続できそうだな」という感覚があります。
理由はさまざまありますが、今の活動の仕方がうまく自分にフィットしている感じがしているというのが大きいと思います。

今わたしは、「シンプリスト」を名乗っています。
一時期は「ゆるミニマリスト」と名乗っていた時期もありました。
ですが、最終的に「シンプリスト」という肩書きで落ち着いています。

シンプリストとは、すなわち、シンプルライフを実践する人です。
このブログのタイトルにもなっている、シンプルライフです。

この「シンプルライフ」という生き方が、わたしにはとっても合っていました。

HSP(最近は『繊細さん』とも言われる)なのかどうかは分かりませんが、わたしはどうも視覚情報の影響を受けやすいようで、ごちゃごちゃした空間がかなり苦手な気がしています。
音にも敏感で、小さな音でもびっくりすることが多いです。

だからこそ、わたしは自宅の居住性を向上させることに、とくに今年は努めてきました。
部屋の中の家具や雑貨の類は最低限に抑え、その上で家具や雑貨にこだわりました。

床座の生活を、長時間作業がラクな椅子座にあらためました。

椅子も作業がしやすく、休憩もしやすいフットレスト付きのオフィスチェアにしました。
オフィスチェアも、検討に検討を重ね、今のオフィスチェアにたどり着きました。

最近はスピーカーも買い替えました。
音に敏感なので、音質の向上は目に見えてQOLの向上に繋がりました。

筆記具にもこだわり、自分にとっての書きやすさを追求しました。

好きなものだけを、自分の身の回りに置くことにし、微妙なものは手放していきました。

その結果、今とっても居心地のよい生活をすることが出来ています。
「シンプルライフ」は、間違いなくわたしの人生をより良いものにしてくれました。

シンプルライフのエッセンスは、シンプルです。
好きなものと共に生き、微妙なものとはさよならする――。
それが、わたしが思う「シンプルライフ」という生き方です。

第四楽章:音楽を奏でるように、文字で演奏する

このブログは、一応「シンプルライフ」がテーマとなっています。

ですが、その実態は、実に多種多様なテーマで書かれている雑記ブログであると言えます。

この記事だって、結果的にシンプルライフを語るパートもできてはいますが、スタート地点は「書きたいことを書く」でした。

多分このやり方は、今後も変わりません。
わたしはこれからも、書きたいことを書き続けていくことでしょう。

このブログは、わたしの生き様を綴るものと言い換えてもいいと思います。
記事はいわば「作品」です。

なめらかな旋律を奏でるように、ブログ記事を書き綴っていきたい――。
わたしはそう思っています。「文字」はわたしにとって、鍵盤のようなものです。

「りおさんの記事は長くても読みやすい。」

そう言われることがあります。

それはおそらく、わたしの文章が音楽的だからだと思います。

交響曲に楽章があり、楽節があり、小節があるように、わたしの文章にも楽章があり、楽節があり、小節があります。

「この文字の運び、綺麗じゃないな」と思えば、綺麗な運びになるように整えます。

文字を発音したとき、淀みなく流れるような文章になっているか――。

それが、わたしが文章を書くときに意識していることです。

この意識の下に、これからもブログ記事を書き続けていきたいと思っています。

もちろん、内容も大事です。それは分かっています。

ただわたしは、何よりも『読みごこち』を優先したい。

音楽を聴いて楽しむように、文字を”聴いて”楽しむことができる――。

そんなブログ記事を、これからも作っていけたらなと思います。

それでは、きょうはこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

タイトルとURLをコピーしました